冨樫義博のプロフィール
本名 | 冨樫 義博 |
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生誕 | 1966年4月27日(54歳) 日本・山形県新庄市 |
国籍 | 日本 |
活動期間 | 1986年 – |
ジャンル | 少年漫画 |
代表作 | 『幽☆遊☆白書』 『レベルE』 『HUNTER×HUNTER』 |
受賞 | 1987年:第24回 ホップ☆ステップ賞佳作(「ジュラのミヅキ」) 1993年:第39回 小学館漫画賞少年部門(『幽☆遊☆白書』) |
冨樫義博さんと言えば、あの超大作幽遊白書やHUNTER×HUNTER、レベルEで知られる超有名漫画家です。
じつは幽遊白書誕生の経緯は以下のようなものになっています。
1990年から『週刊少年ジャンプ』にて「幽☆遊☆白書」を連載開始。当初は幽霊となった少年を主人公とする1話 – 数話完結の話であったが、連載途中より格闘漫画に作風を移行させた。この作品は人気を集め、1992年にはテレビアニメ化を果たしジャンプの屋台骨を支える看板作品となり、人気の衰えを見る前に連載終了。
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有名作品の幽遊白書ですが、尻すぼみさせることなく完結させてたんですね。
実は奥さんはあのセーラームーンの作者である「武内直子」さん。
現在はHUNTER×HUNTERを不定期で連載しています。
富樫さんがどんな人なのか、というのは味野くにおさんが「先生白書」という本で赤裸々に語っています。
「先生自身も、いい意味で全く変わりませんでした。いつも穏やかで、本当に、人格者なんですよ。この本も、何よりもまず、冨樫先生の人柄を伝えられればと思っていました」
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「先生、ゲーム大好きなんですよ。原稿上げてそのまま一緒に朝まで麻雀やゲームをしたことも何度もありました。
どうしても描きたかったエピソードもゲームに関するものでした。
先生が息抜きでゲームしているタイミングで、担当さんが音もなくやってきまして。画面に熱中している先生はまったく気づかず、しばらく無言の時間が流れて……」
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「暴力沙汰でアシスタントに逃げられた」とか「先生が失踪してアシスタントだけで仕上げた回がある」とか、ないです。
不思議ですね、こういう噂ってどこから出てくるんでしょう。他の先生の現場のアシさんに「冨樫先生、早朝の新宿で吠えているってほんと?」って聞かれて「んなわけあるかい!」と思いながら「そ、そんなことないと思いますよ」と答えたこともありました(笑)
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すごい真面目な方だったんですね。
ちなみに幽遊白書の連載が現在続いていたときは多忙でした。
武内直子もセーラームーンを手掛けてた時、すごい忙しかったですよね多分。
この二人のキューピットとなったのが漫画家の萩原一至さんです。
萩原一至さんの代表作は『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』ですね。
漫画家が集まるパーティーがあり、武内直子さんが冨樫義博さんのファンで名刺を交換され、その後、武内直子さんから冨樫義博さんから電話をされたそうです。
その後、交際が始まり、1999年1月に結婚されました。
結婚後、武内直子さんが休業中には冨樫義博さんのアシスタントをされたりしていたそうです。
もともと、相当なおしどり夫婦で、互いを”姫””王子”と呼び合うなど相当な仲としても、2人は有名です。
二人とも有名な漫画家夫婦なので、あまりお金には困らないです。
それが冨樫義博さんの漫画のモチベーションの低さだと言われています。
ほかにも腰痛がひどいから書けないという噂も。
実際、竹内直子さんがアシスタントして手伝っていた過去もあります。
幽遊白書の推定印税は30~40億くらいだと言われています。
それだけあればお金には一生困らないですよね。
冨樫義博の絵について
現在はHUNTER×HUNTERを不定期に連載している冨樫さんですが、絵がとても手抜きだということで話題になっています。
もはやイラストですらないですね(笑)
ちなみに本気のイラストはこんな感じです。
今と全然違いますよね(笑)
実際冨樫さんの画力は実は高いんですね。
冨樫義博まとめ
元々幽遊白書はドラゴンボールのような作品を目指した作品なんだそうです。
思えば暗黒武術会編というのもドラゴンボールの天下一武道会みたいなものですからね。
幽遊白書の連載を終わらせた理由は冨樫さんの過酷なスケジュールや重なるストレスが原因だったそうです。
冨樫さんが原稿を書かないことについては
「冨樫病」
と名がつくくらいですからね……。
ハンターハンターは果たして完結するのでしょうか。
未完にならないことだけを祈ります。
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